風の通る道 by mamaneko

人や音楽や本は、出合うべきときに出会うね。本当に不思議だけれど。風のように、波のように。風の通る道。そんな話を少しずつ。

『下村誠アンソロジー』外伝④ 柿島伸次さんのコンサートパンフレットの記事、公開します!

\下村誠アンソロジー外伝④/

📚『下村誠アンソロジー』未収録の記事。下村さんが書いた、

柿島伸次さんの1993年のツアーパンフの記事、公開します!🎸

 

シンガーソングライターの柿島伸次さんと初めてお会いしたのは、

2022年5月、小平にあったカフェ「Jimmy’s Paradise」で行なわれた

中川五郎さんのライブ会場でした。

お客さんとしてライブを観にきていた柿島さんと、

ライブのあと少しお話をしていたとき、

「そういえば、下村さんに取材してもらったことがありますよ」という話が出ました。

 

柿島さんが記憶をたどり、

「デビューした頃か、そのあとか……『GB』だったかなぁ」と思い出してくれたので、

図書館に行って、『GB』1993年から1995年までの号をチェックしたのですが、

記事を見つけられず……。

せっかく柿島さんとお会いする機会があり、情報をいただいたので、

がんばって見つけて載せたかったのですが、かといって、

数ある音楽雑誌の数年分の中から探し出すことは、もはや時間的に難しく、

泣く泣く断念。

柿島さんには、記事が見つからなかったことをご連絡して、お詫び。

話はここで終わったかのように思っていましたが……。

 

本の発行から約1か月後の8月末、柿島さんから

「下村さんの記事ありました! コンサートパンフでした」と

メッセージが届いたんです!

最初にメッセージを読んだとき、「わぁ!」とうれしかったのと同時に、

「柿島さん、なんて、いい人なんだ!」と感動~☆* 

下村さんの本のこと、私が図書館で探していたことなど、心に留めていてくださり、

しかも、見つかったからとわざわざ連絡してくれるなんて。。。

本当にうれしかったです。

 

 

ということで、柿島さんのご快諾もいただいたので、ここに公開いたします!

本当なら、『音楽ライター下村誠アンソロジー 永遠の無垢』にも

転載したかったものなので、本書のレイアウトと同じように打ち込んでみました。

ぜひ、ご覧ください!

 

 

また、この記事は、柿島さんの3枚目のアルバム『Rolling DOWN HOME』の

ツアーパンフレットに書かれたものですが、来週10/27(金)には、

デビュー30周年記念の一環として、このアルバムの再現ライブが行われるというから、

なんというgoodタイミング!

場所は、新横浜リット。18:30開場、19:00開演です。

お時間ある方は、ぜひ!

 

今年、デビュー30周年を迎えた柿島さん。

8月には新作のアルバム『歩き出せば景色は見えてくる』をリリースされました。

このアルバムには、

「ぼくはギター、ぼくとギター」という曲が収められているのですが、

実はこれは、冒頭に書いた、柿島さんが中川五郎さんのライブに来たことが

きっかけとなってできた曲なんです。

 

2022年5月の中川五郎さんのライブ「ぼくが今日歌う場所」を企画したのは、

『音楽ライター下村誠アンソロジー 永遠の無垢』の編集も手伝ってくれた

若松政美さん。

若松さんは、下村さんの想いを受け継ぐ形で、「NAKAD SONGS」という

詩と音楽のイベントを開催したり、こうしたライブイベントも企画しています。

 

五郎さんのライブに柿島さんが来てくれたことがきっかけとなって、

その年の11月には、このふたりのライブを企画、開催されたのですが、

若松さんが「せっかくだから、ふたりで曲、つくってくださいよ」と無茶ぶり(笑)。

 

しかし、そういうのもご縁なんでしょうね(^^♪

それでできあがったのが、「ぼくはギター、ぼくとギター」という曲で、

11月の五郎さんと柿島さんのライブで披露。なんと、それが、

柿島さんの新しいアルバムにも収録されることになったというわけです。

 

無茶ぶりなんて書いてしまいましたが(すみません!)、

若松さんが、そう思いついたこともそうですし、

そのアイデアを受け取って、曲として形にした五郎さん、柿島さんの気持ちも、

ピュアで素敵だなぁと思うわけです。

 

ライブや新しいアルバムのことなど、柿島さんのホームページに出ていますので、

こちらも貼っておきますね。

 

https://kakijima.amebaownd.com/

 

 

 

『下村誠アンソロジー』外伝③ 田家秀樹さんのラジオ番組にゲスト出演したときのこと

先月、音楽評論家の田家秀樹さんのラジオ番組にゲスト出演したときの内容が

Rolling Stone Webで公開されました。

ラジオでしゃべったことが文字になるのは、だいぶ気恥ずかしいですが…

下村さんが書いた記事のこと、音楽のこと、それなりに話せているかな。。

 

田家さんの最後のまとめの言葉もとてもいいですし、よろしければ、

ご一読いただけたら幸いです。

 

rollingstonejapan.com

 

田家さんって、メールの文面や、会って打ち合わせをしているときは、

ぶっきらぼうだったり、飄々とした感じだったりするんです。

ラジオも、朗らかに笑ったりする部分もありますが、

割と、淡々と進行していく感じ。

その一方で……田家さんが書いた記事や著書を読むと、とてもあたたかですよね。

あたたかくて、冷静で、時にきらりと切れ味鋭い。

田家さんのそういう想いの深いところ、

それが、放送の最後のまとめ部分(Webの最後、6番目の画面)に

特に表れていると感じました。この部分は実は、一緒に収録をしていた時ではなく、

あとから田家さんだけで録音した部分です。収録時、私は聴いていない。

私の(というか、たぶんゲストの)前ではしゃべっていないんですね。

でも、Web記事を読んでいただくとわかる通り、とてもあたたかくて、優しい。

ゲストを帰してから収録するのは……きっと、照れ屋なんでしょうね

 

番組の中で(webでは後半5番目の画面)、下村さんが自身のアルバムで、

ヒロトさんや佐久間順平さんなどすごいミュージシャンが一緒にやっているのを知って、

「実は嫉妬していたんです(笑)」と田家さんが話している部分があります。

それに続けて、「なんであいつはこんなことができるんだろうと思っていましたよ。

理由は今なら分かります。そのことは原稿に書きましたけどね」と話しています。

田家さんが『下村誠アンソロジー』に寄せてくれた寄稿文、とてもいいです。

この「今なら分かります」のところも、ぜひ読んでほしいです。

 

お買い求めはamazonあるいは、

BASEにて取り扱っています。よろしくお願いします

https://inkwellmnk27.base.shop/

 

 

実は、『下村誠アンソロジー 永遠の無垢』への執筆のお願いについて、

一番最初に連絡したのが田家さんでした。

お願いしたテーマは……佐野元春がニューヨークでのレコーディングを終え、

日本に帰国した4日後にラジオ番組「MOTOHARU RADIO SHOW」に、

下村さんがゲスト出演した際、佐野さんから下村さんに、

「ミュージシャンであることと音楽ライターであることに、自分の中で矛盾はないか」

と問われて、下村さんが答えた言葉、

「僕は評論をしたという覚えはないんだ。音楽も原稿も太い線の中の活動のひとつ。

一本の線でつながっているんだ」、この意味を考察してほしい……というもの。

下村さんが佐野さんに話したこの思いの真意。それを知りたいと思って、

田家さんにお願いをしたのでした。

 

それを、田家さんは、下村さんが10代の多感な頃を過ごした

「70年代」という時代にスポットを当てながら論じていて、さらには、

ミュージシャンとの同志的なつながりについても書いてくださっていて、

ストンと腑に落ちる、納得感のあるものでした。

 

どうして田家さんに?と考えたかというと、下村さんの本をつくろうとして、

あれこれ検索していた時に、田家さんがブログで下村さんが亡くなったことを

書いているのを2つ、見つけたんです。その文面はシンプルでありながら、

昔の同志に対する深くて、何か熱いものを感じて、感動したんですね。

田家さんと言えば、音楽評論家の大御所! 

そんな人に、いきなり連絡をしても良いものだろうか、しかも、

まだ出版社も決まっていないのに、とは思ったものの、当たって砕けろ!

エイ!と思ってまずはメールをして……翌日、田家さんから電話をもらった

……と思うんです(なんだかすっかり忘れている…)。

そして、田家さんが特別寄稿でも書いているとおり、

僕にできることでしたら何でも」と即答してくださったので、

ほっとしていたら、「下村君が書いたアーティストは何組くらいいるの?」と急に

聞かれたんです。このとき、エクセルにアーティスト名だけは列記してあったものの、

何組あるのか数えていなくて、ざっと数えて「え…えっと、50組以上いると思います」

と答えました(実際には70組以上いた……)。

電話を切ってから、「そうだ、寄稿をお願いするなら、それくらいちゃんとしてから

連絡しなきゃいけないんだ」と、冷や汗をかきました。

 

ま、そんな思い出も。

 

『下村誠アンソロジー』外伝① 久恒啓一先生が書いてくれた書評の幸せ

 

多摩大学名誉教授の久恒啓一先生がブログに書評を書いてくれました/

 

「華やかなスポットライトを浴びる人ではなく、

そういう人を支えたり、周辺にいた人のことこそ残すべき。

その本、絶対につくったほうがいいよ!」

 

久恒先生とは、先生の本の編集を何冊か担当させていただいたご縁。

この言葉は、2年前、下村誠さんという人の本を作りたいと思っている、と、

当時、多摩大学の副学長だった久恒先生に話をしたときに、

言ってくれたものだ。

 

華やかなスポットを浴びる人の周辺にいる人物のことは、

誰かが記録に残さないと、消えていってしまう。

だから、「その本は絶対につくったほうがいい」と言ってくださったのだ。

 

本をつくっていて、うまくいかないことがあったり、

落ち込んだりすると、久恒先生のこの言葉を思い出した。

ずっと大きな支えだった。

 

下村さんの本が完成して、そのお礼も兼ねて献本させていただいたところ、

とても喜んでくださって、今回、ブログにも書いてくださった。

 

k-hisatune.hatenablog.com

 

久恒先生がブログに書いてくれた、この文章もうれしい。

時間もかかったし、大変なこともあったし、

反省点もたくさんあるのだけど、この本を作って良かった、

私がやろうとしたことは間違いじゃなかったんだと思えて、

ちょっと泣きそうになった(笑)。

 

「単なる追悼集のレベルを超えた作品になっている。

これはいわば、永遠に残る紙のお墓、紙碑である。

この本によって、下村誠は人々の記憶の中だけでなく、

音楽史の中で長く生き続けることだろう」

「歴史はやはり、人物史なのだ」

 

久恒先生、ありがとうございました。

 

★久恒先生の公式サイト「久恒啓一図解ウェブ」

https://www.hisatune.net/

久恒啓一プロフィール

https://www.hisatune.net/html/05-career/profile.htm

 

 

 

 

 

 

「らんまん」と祖父のこと

私の実家・髙橋家は長野県中野市で、

江戸時代から続く漢方薬の薬局でした。

でも、それは曽祖父の代まで。

母から伝え聞いた話では、祖父は、

跡取りとして漢方薬の勉強のために、

東京の薬学に出してもらったのに、

1年分の授業料を呑んでしまい(!)、

もちろん、学校は追い出され、

その後、どこかの医学部に入り直し、

外科医として長野に戻ってきた、と。

その後、中野市の薬局は閉局し、

祖父は、長野駅近くの国鉄病院の勤務医として

定年までつとめあげた、とのこと。

 

定年後、おじいちゃんのやらかしたことは

(いかにも、いいとこのボンボンっぽい失敗談…(笑))

いろいろあるんだけど、ま、それはおいといて…。

 

授業料を1年分、吞んじゃったっていうのも

ケタはずれだし、

そのあと、医学部に入れ直してもらったというのも、

やることが、金持ちすぎて、御曹司すぎて、

想像もできていなかったのだけど、

朝ドラ「らんまん」を見ていると、

もしかしたら、祖父も、医学の道を夢見て、

反抗を続けたものの、許されず、

授業料を呑みつくすという暴挙に出て、

きっと、家族でいろいろ話し合い、説得し、

今週、万太郎が家を出るときのように、

「わか、行ってらっしゃい」とみんなに見送られて

中野市の家を出たのかなぁ、などと推測。

 

祖父は最初の奥さんを病気で亡くし、

そのあと、私の祖母と再婚。20歳の年の差。

だから、友だちのおじいちゃんとかと比べて、

ひと世代むかし、のことなんだけどね。

 

まぁ、うちの実家については、いろいろあるんだよなぁ。

いつか、小説にでもできたら、おもしろいだろうなぁ。

ふふ。

 

 

シバさんこと三橋乙揶さんの個展へ

昨日は、シバさんこと三橋乙揶さんの個展

「それじゃ、また明日」に。(喫茶 馬天使 八王子市)

 

 

絵を拝見し、シバさんの独特な世界観にひたる。

じーっと見ていると、絵の印象が変わってくるのが

自分でも不思議な感じだった。

 

 

 

 

陶芸の作品、CDが並ぶ小さなテーブルに、

大きな片目の女性の絵が表紙のノート。

口紅をしているから、女性かなと思うけれど、

でも、性別はないのかも??

 

 

と、そこにシバさんがお店に入ってきた。

お会いするのは初めて。

ちょっと、打ち合わせもありつつ、

シバさんがしてくださる故・下村誠さんの話、

「ブルースって…」「ロックっていうのはさ…」などに

耳を傾ける。

音楽のジャンル分け、の話。

アメリカと日本の、ジャンルや音楽の歴史の違い。

とらえかたの大きな違い。音楽の精神性。

 

「下村さんの本は、若い子に読んでほしいね。

今、出すべき本だと思うよ」

 

下村誠さんの本をつくっていく過程で、

いろいろな人にお会いして、お話を聞くたびに、

小さな核でしかなかった、私の想いに、

ペタペタと、いろいろな人の想いがくっついて、

形づくられてきていることを、

最近、ものすごく感じている。

 

昨日も、そんな一日でした。

シバさんの絵を拝見して、

シバさんとお会いして、話ができて、

本当によかったなぁ。

いい日でした。

 

 

八王子の喫茶馬天使。

はじめて伺いましたが、小さな窓から

すずやかな風も入り込み、

とても落ち着くお店でした。

駅までの帰り道、浅川にかかる橋からの

眺めも、とてもよくて。

いつかまた、来てみたいな。

 

 

隣町珈琲「小田嶋隆が残したもの」

隣町珈琲という場所を知ったのは、

2019年の秋、特集が気になって購入した

『望星』がきっかけ。

 

平川克己責任編集による特集「詩のない生活」。

ここに寄せた平川さんの文章がとても胸に残り、

不勉強ながら、それまで平川克己さんの文章を

ちゃんと読んだことがなかったので、それから2冊ほど読んだ。

 

で、隣町珈琲の存在も知り、興味深いイベントを

よく開催しているので、いつか行ってみたいと思う場所だった。

そしてようやく念願かなって行ったのが、

4月9日(日)に開催された〈小田嶋隆追悼イベント 

小田嶋隆が残したもの vol.2 小田嶋隆と音楽と〉

 

 

隣町珈琲が発行している書籍『mal'' 03 特集 小田嶋隆』も

買って読んでいた。

 

 

さて、イベント。

最初は、小田嶋さんと縁の深い編集者の穂原俊二さんによる、

小田嶋さんが好きだった音楽についての話。

『mal''』にも寄稿していて、そこでも書いておられるが、

たとえば、イギー・ポップの「Lust For Life」、

映画「トレインスポッティング」のオープニングで使われる曲。

あるいは、ルー・リードのアルバム「トランスフォーマー」、

デヴィッド・ボウイの話、ボブ・ディランの話。

ジョンとヨーコの「Give Peace A Chance」などなど。

 

穂原さんが、小田嶋さんの奥さまミッカさんから聞いたという

エピソードを紹介してくれた。

・・・・・・・・

亡くなる数日前に、ベッドで寝ていたはずの小田嶋さんが突然に、

「どうしてみんな歌わないんだろう」と言ったそうだ。

「みんなでギブピースアチャンスを歌うところにいるのに!」と。

そばにいたミッカさんが歌うと、小田嶋さんも一緒にうたいはじめ、

「オールウィアーセーイイング、イズ、ギーブピースアチャーンス」

と4回繰り返して歌ったという。

あぁ、この人はもうそんなに清らかなところにいるのだと感じて、

涙が流れてしかたなかった……。

・・・・・・・・・

 

そんな話も紹介してくださり、そのあとは、

やはり小田嶋さんと縁の深かったバンド、

東京ローカル・ホンクが登場した

小田嶋さんは若い頃、バンドをやっていてオリジナル曲もあり、

東京ローカル・ホンクによる演奏が行われた。

パソコンとスクリーンがつながっていて、

歌詞が映し出されるのも、よかったなぁ。

 

「おじさん」「できないことはできない」「26」など…。

20代後半の頃につくったものだというが、

なんだかとても、小田嶋さんぽくて、愉快だった。

 

途中、東京ローカル・ホンクのギター&ボーカルの人が

笑いながら言った一言が、とてもせつなかった。

「なんで(小田嶋さんが)ここにいないんだよ、ちくしょう」

 

そして、特別ゲストとして登場したのが、春日博文さん。

ギターではなくウクレレ片手に登場。

いやぁ、カッコよかった!

ウクレレリードギター……いや、リードウクレレか^^;

を弾くところを初めて見ましたよ!

 

 

あまりにかっこよかったので、CDを購入したところ、

それに気が付いた春日さんが、「サインしますよー」と

言ってきてくれて、サインもしてもらい、

そのアルバムの解説までしてくれました。

(私の名前を聞き間違えて、Ryokoになっちゃったけど、

それはそれで、いい思い出かも)

 

あったかくて、愉快で、楽しい追悼イベントでした。

隣町珈琲、いいな。

壁には本がたくさん。

そのうち、普段の隣町珈琲にも来てみたい。

 

 

『坂本龍一 Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』

坂本龍一 Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』

 

 

楽器を弾く、人の手が好きだ。

年齢を重ね、皺が寄り、少し痩せて

手の骨や節が目立つ坂本龍一の手が奏でる

完璧な音の響きを

生涯、忘れない。

やさしい響き 暗闇に光が差すような。

 

「ライブでコンサートをやりきる体力がない。

この形式での演奏を見ていただくのは、

これが最後になるかもしれない」として、

HNK放送センターの509スタジオで

1日数曲ずつ収録した演奏の映像が

配信された今日。

 

鍵盤を慈しむように弾く指先

坂本龍一の音の世界が、

うれしくてせつなかった。

美しい手だった。

 

胸に届いた音を抱いて、今夜は寝ます。

おやすみなさい。