風の通る道 by mamaneko

人や音楽や本は、出合うべきときに出会うね。本当に不思議だけれど。風のように、波のように。風の通る道。そんな話を少しずつ。

『下村誠アンソロジー』外伝③ 田家秀樹さんのラジオ番組にゲスト出演したときのこと

先月、音楽評論家の田家秀樹さんのラジオ番組にゲスト出演したときの内容が

Rolling Stone Webで公開されました。

ラジオでしゃべったことが文字になるのは、だいぶ気恥ずかしいですが…

下村さんが書いた記事のこと、音楽のこと、それなりに話せているかな。。

 

田家さんの最後のまとめの言葉もとてもいいですし、よろしければ、

ご一読いただけたら幸いです。

 

rollingstonejapan.com

 

田家さんって、メールの文面や、会って打ち合わせをしているときは、

ぶっきらぼうだったり、飄々とした感じだったりするんです。

ラジオも、朗らかに笑ったりする部分もありますが、

割と、淡々と進行していく感じ。

その一方で……田家さんが書いた記事や著書を読むと、とてもあたたかですよね。

あたたかくて、冷静で、時にきらりと切れ味鋭い。

田家さんのそういう想いの深いところ、

それが、放送の最後のまとめ部分(Webの最後、6番目の画面)に

特に表れていると感じました。この部分は実は、一緒に収録をしていた時ではなく、

あとから田家さんだけで録音した部分です。収録時、私は聴いていない。

私の(というか、たぶんゲストの)前ではしゃべっていないんですね。

でも、Web記事を読んでいただくとわかる通り、とてもあたたかくて、優しい。

ゲストを帰してから収録するのは……きっと、照れ屋なんでしょうね

 

番組の中で(webでは後半5番目の画面)、下村さんが自身のアルバムで、

ヒロトさんや佐久間順平さんなどすごいミュージシャンが一緒にやっているのを知って、

「実は嫉妬していたんです(笑)」と田家さんが話している部分があります。

それに続けて、「なんであいつはこんなことができるんだろうと思っていましたよ。

理由は今なら分かります。そのことは原稿に書きましたけどね」と話しています。

田家さんが『下村誠アンソロジー』に寄せてくれた寄稿文、とてもいいです。

この「今なら分かります」のところも、ぜひ読んでほしいです。

 

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実は、『下村誠アンソロジー 永遠の無垢』への執筆のお願いについて、

一番最初に連絡したのが田家さんでした。

お願いしたテーマは……佐野元春がニューヨークでのレコーディングを終え、

日本に帰国した4日後にラジオ番組「MOTOHARU RADIO SHOW」に、

下村さんがゲスト出演した際、佐野さんから下村さんに、

「ミュージシャンであることと音楽ライターであることに、自分の中で矛盾はないか」

と問われて、下村さんが答えた言葉、

「僕は評論をしたという覚えはないんだ。音楽も原稿も太い線の中の活動のひとつ。

一本の線でつながっているんだ」、この意味を考察してほしい……というもの。

下村さんが佐野さんに話したこの思いの真意。それを知りたいと思って、

田家さんにお願いをしたのでした。

 

それを、田家さんは、下村さんが10代の多感な頃を過ごした

「70年代」という時代にスポットを当てながら論じていて、さらには、

ミュージシャンとの同志的なつながりについても書いてくださっていて、

ストンと腑に落ちる、納得感のあるものでした。

 

どうして田家さんに?と考えたかというと、下村さんの本をつくろうとして、

あれこれ検索していた時に、田家さんがブログで下村さんが亡くなったことを

書いているのを2つ、見つけたんです。その文面はシンプルでありながら、

昔の同志に対する深くて、何か熱いものを感じて、感動したんですね。

田家さんと言えば、音楽評論家の大御所! 

そんな人に、いきなり連絡をしても良いものだろうか、しかも、

まだ出版社も決まっていないのに、とは思ったものの、当たって砕けろ!

エイ!と思ってまずはメールをして……翌日、田家さんから電話をもらった

……と思うんです(なんだかすっかり忘れている…)。

そして、田家さんが特別寄稿でも書いているとおり、

僕にできることでしたら何でも」と即答してくださったので、

ほっとしていたら、「下村君が書いたアーティストは何組くらいいるの?」と急に

聞かれたんです。このとき、エクセルにアーティスト名だけは列記してあったものの、

何組あるのか数えていなくて、ざっと数えて「え…えっと、50組以上いると思います」

と答えました(実際には70組以上いた……)。

電話を切ってから、「そうだ、寄稿をお願いするなら、それくらいちゃんとしてから

連絡しなきゃいけないんだ」と、冷や汗をかきました。

 

ま、そんな思い出も。