風の通る道 by mamaneko

人や音楽や本は、出合うべきときに出会うね。本当に不思議だけれど。風のように、波のように。風の通る道。そんな話を少しずつ。

初心に返る

(以前つかっていたブログが閉じてしまうので、こちらにお引っ越し。書いたのは2020年12月20日)

 

「この人がいなかったら、この出会いがなかったら、今の自分はいない」

 そういう話をよく聞くけれど、私にとって、デッキ(友人の愛称)がまさに「その人」だった。なぜか、今年の夏ごろから、このことをよく思い出すようになっていた。娘にも話したりして。元気かなぁ、となつかしく思っていた。

 しかし先月、デッキが病気で亡くなったという知らせが届いて――。

 大学生の頃、ある大学のロック研にいたことがある。そこに、踊るようにドラムを叩く人がいた。それがデッキだった。音楽やってることが楽しくて仕方ないぜという、やんちゃな笑顔でドラムを叩いていた姿を今も覚えている。

 が、私は一年生でロック研をやめてしまったので、以来、ずーっと会うことはなかった。

 それから何年もたったある日、偶然、再会した。しかも、お互いの家が徒歩5、6分のところにあって、その偶然にもびっくり。

「久しぶりだね。ごはんでも食べようよ」という話になり、以来、たまーに会うようになった。と言っても、つきあった、というわけではない。たまに、飲みに行ったり、ごはん食べたり、そんな感じ。

 彼は当時、フリーランスで映像関係の仕事をしていた。私は、最初に就職した会社をやめて、アパレルの会社に勤めていた。

 ある日のこと。

フリーランスなんて、すごいなぁ」と言うと、デッキは、いつもの笑顔で、「誰にだってできるよ」と言った。さらに続けて、「洋ちゃんにもできるよ」と。

 当時、仕事に対して考えるところはあったものの、明確になにかしたいと思っていたわけではなく、だから、デッキにそういう話をしたこともなかった。でも、なにか感じ取っていたんだろうか。

「洋ちゃんにもできるよ」のひと言。

 一生、なにかしらの仕事をしていたい、とは思っていた。そう思っていたけど、当時の会社風土のなかで、女性は「結婚してやめるもの」という認識が今よりもずーっと強かったので、一般的な「会社組織」の中でずっと仕事をするという選択肢はなかった。

 じゃあ、どうしようか。

 ずっと続けられること。おばあちゃんになってもできること。

 そして、湧いて出てきたベクトルが、「書く人」になることだった。

 決めた途端、風がさーっと吹いて、波も起きた。自分でも波を起こしたけれど、それにしても奇跡的なことが次々に起きてきた。

 それから約三十年。一冊の本になりそうなくらいの、人と人との出会い。誰かがつないでくれて、そこからまたつながって、いろいろなことが起きて、いい仲間に恵まれ、支えられて、なんとか仕事を続けてくることができた。その中で「ママ猫」も生まれ、そして今、ここにいる。

 そのきっかけをつくってくれたデッキと、これまでに出会ったすべて人=〝あなた〟に、ありがとうを。

   *

一日ずれていたら

出会う人が 変わっていた

一時間おくれていたら

出会えなかった

一秒ちがっていたら

あなたに会えただろうか

だから今 ありがとう

あなたがいてくれて よかった

    *

 心残りなのは、フリーランスで仕事を始めたことは話したけれど、ちゃんと「デッキのひと言が私の背中を押したんだよ。がんばってるよ。ありがとう」と伝えたかどうか、よく覚えていないこと。たぶん、言ってない。

「洋ちゃんにもできるよ」のあと、まもなくして、デッキは引っ越してしまい、「あ、(家に)いる? ごはん食べる?」みたいに気軽に会えなくなってしまったし、私はフリーで食っていけるようになるのに必死だったし。

 実は今年、仕事では暴風雨のような、心が忙殺されるようなできごとがあり、そしてまた、やりたいことも沸いてきて、いろいろ考え中。

 三十年前のこの頃のこと。吹いてきた風や起きてきた波を逃さないようにつかまえて、攻めていっていた頃のこと。思い出して、ある意味、初心にかえろう、と思っている。

 風は吹くか。