風の通る道 by mamaneko

人や音楽や本は、出合うべきときに出会うね。本当に不思議だけれど。風のように、波のように。風の通る道。そんな話を少しずつ。

『紛争地の看護師』著者・白川さんのトークイベントで感じた大切なこと

6月11日(土)銀座のレストラン・バー「cafe garage Howrin'」。弁護士でロックミュージシャン・島昭宏さんが主催する白川優子さん(国境なき医師団の看護師)のトークイベントが終わったとき、白川さんの話と、そこから想起された記憶とで、私の頭はぐるぐるとうず巻いて、少々、混乱していた――。

 

白川さんはまだ小学生の低学年だった頃、国境なき医師団をとりあつかったドキュメンタリーをテレビで観て、こんな仕事があるんだと感動し、憧れたそうだ。そこから紆余曲折ありつつも、30歳を過ぎてから、本当に自分がやりたいことはコレだと決意して加入した話や、国境なき医師団の活動そのものや組織運営の話……などなど、興味深いトークが続いた。

でもやっぱり、一番、「あぁ、そうか。やっぱりそうなんだ」と心に刺さったのが、「報道されていることと、現実に起きていることは違う」という話。

 

報道されていることと、現実に起きていることは違う。

 

紛争地で実際に目にし、知っている白川さんだからこその「伝えなければならない」という想い。

あくまでも看護師であり、目の前で傷つき、倒れている人の命を救うこと。自分がやるべき最優先はこっち。

でも「伝えなければならない」という強い気持ちが実現したのが、白川さんの著書、『紛争地の看護師』と『紛争地のポートレート』なのだという。

 

爆撃で体の一部が吹き飛んだ人。体中が傷つき、血だらけの人。

食べものや水もなく弱っている人。

粉々に壊された建物、橋、重要施設。。

現実に起きていることは、テレビや新聞などの報道で私たちが目にするものや、そこから私たちが想像できることなんて、くらべものにならないほど重いのだと、白川さんのこの言葉から再認識する。

そして、白川さんが一番伝えたいことは、「戦争だけは、本当にやってはいけない」ということ。

 

世界のそうした紛争地域の様子は日本の報道でも流れるが、そうした映像は、おそらく、比較的軽症の人なんだろうと思うし、戦況も比較的悲惨ではない場面ないのかもしれない。(それでも十分に酷い状況だけれど)

 

話を聴きながら、東日本大震災のことを思い出していた。

夫の実家は宮城県多賀城市というところで、津波被害のあった地域だ。多賀城市のあたりの沿岸部は海岸ではなく港で、物流倉庫や大きな量販店などが立ち並んでいる。津波が建物にぶつかって威力がそがれたせいか、住宅街に波が到達したときには、2mほどの高さがあったものの、波のチカラはだいぶ低下していて、建物が根こそぎ流されるといった被害は受けなかった。

一戸建て住宅の塀や門は壊れたり、物置のような軽いもの、あるいは車などは持っていかれたけれど、そういう意味では、大きな被害ではなかった。

夫実家はアパートの2階で、ぎりぎり、浸水の被害にもあわなかった。

ということもあり、体育館に避難していた義父も、電気などのライフラインが復活して、アパートそのものの安全性が確認されるとすぐに実家に戻った。8月になる前には帰っていたと思う。

 

夫は震災から約2か月後の5月の連休に一度帰っていたが、私と娘は遠慮して、でも、夏休みには帰省することができた。

その程度には落ち着いてきていたからだが、義父が話してくれることと言ったら、「揺れはすごかったが、家の中のものはちゃんと固定してあったから、みんな倒れなかった」とか、手先が器用な義父は、避難所で、みんなが生活しやすいようにと工夫して、手作りでいろいろ作っていたらしく、「頼りにされて、ちょっとした人気者だったんだ(笑)」とか……。

あるいは、ガスの修理は大阪ガスの人が来てくれたそうで、「遠くから来てくれて、本当にありがたかった」とか、そういうことだけだった。

 

本当はもっとつらい思いもしただろうけど、あえて聞くのも……と思って、こちらからは特に聞くことはなかった。

 

が、震災から2年以上がすぎた2013年の夏休み。帰省して、東京に帰るとき、いつものように、駅まで義父に車で送ってもらう途中、いつも通る道、多賀城市を流れる川の横を通っていたとき、義父が、

「あの橋に人がいっぱい引っ掛かっててね……」

とつぶやいたのだ。誰に言うともない感じで、ぽつりと。

 

その短い言葉。その奥にある震災の記憶。でも、たったそのひと言を口にするのに、2年以上の歳月が必要だったのだと瞬時に悟った。

 

何が言いたいかというと、震災の頃、震災の様子や津波の威力、傷つき、立ち尽くす人などの映像があれだけ流れたけれど、義父がやっと口にしたような映像が流れたことはなかった。少なくとも、日本では。

災害時の映像には、報道の限界がある、ということだ。

ましてや、それが戦争となれば、もっと限界や規制があったり、報道する人の命にも影響するかもしれない。伝わってくるものは、氷山の一角、ほんの表面的なものだと知っておく必要はあると思った。

 

話が少しそれてしまったけど、じゃあ、そういう話を伝え聞いて、どうするのか。

ウクライナのことを考えてみる。タリバン政権下のアフガニスタン。凄まじい独立戦争で独立を勝ち取ったものの、あまりに凄惨な状況にありすぎた東ティモールのことも……。

国同士のことではなくとも、日々の生活や仕事にだって、理不尽なことがたくさん起きている日本のことも。

 

わー、何もできないじゃん。

 

こうしたことを考えはじめると、無力感があったり、あきらめの気持ちも出てきたりする。あれもこれもなんて無理…とか。

 

また、たとえば、戦争だけは絶対にしてはいけない、と私は思うし、そういう人は多いと思う反面、武力で推し進めるのが正義だと思う人もいるだろう、と思う。

あるいは身近な問題としてなら、地域の再開発。企画の発端は住民が暮らしやすいようにという理想だったりしても、住民の中には今まで通りがいいと思う人もいるだろうし。

 

いろいろな考えの人がいて、みんなが同じ方向を向けるなんていうことは、ありえなくて、でもそういう多様性があるから、人類は破滅せずに存続してきたのだろう……とも思ったりして、なんの答えも出ないんだけど。

人類が、みんなが同じ意見を持つ種類だったら、どこかのタイミングで、とっくに破滅してるんだろうなぁと思う。みんなで戦争に向かっちゃったりして。

 

書いていたら、また、頭ぐるぐるしてきたぞ。

 

いろいろなことが起きている。苦しむ人がいる。

この地球上にそうした事はたくさんあって、それを伝えてくれる人がいたら、キャッチできる心を持っていること。全部は無理だから、なにか自分が心を動かされたことで、いいと思う。

何かをキャッチしたら、考えること。

身近な出来事であれば、自分や、自分の大切な人、まわりにいる人が、そうした物事の渦中に巻き込まれることもあるかもしれない。。。

その中で、なにか自分が行動できることがあったら、行動したり、実践してみること。

そこに尽きるんだろうか。

 

 

トークイベントからもう1週間も経ってしまった(;^^A

考え出すとぐるぐるしてくるけれど、でも、ふと思い出すのは、白川さんの笑顔。

悲惨で深刻な話も多かった。楽しい話題もあったけれど、全体とすれば真面目な問題だ。

でも、今、ふりかえってみると、彼女はどの話の時も、眉間にシワを寄せていなかった。優しく、おだやかな表情。あるいは、話し終わると、いつも笑顔だった。

 

それって、強さだなぁ、と思う。

凄惨な状況を知り、辛いこと、悲しい思い、かすかな希望。

そういうことを知っている上での笑顔。

 

私には同じ笑顔はできないけれど、でも、私も、まずは笑顔でいようと思う。

そして考える。