風の通る道 by mamaneko

人や音楽や本は、出合うべきときに出会うね。本当に不思議だけれど。風のように、波のように。風の通る道。そんな話を少しずつ。

追悼 矢吹申彦さん もう1度、お会いしたかったな。。

矢吹申彦さん、亡くなったのですね…。

最近、ふと思い出すことが何度もありました。お元気かなぁ…って。

以前、下北沢の情報誌『しもきた情報』でライターをしていた頃、

「しもきた人インタビュー」というページを担当していて、

矢吹さんにインタビューさせていただいたことがあります。1996年3月号。

 

 

矢吹さん、いい顔をされているでしょう。

写真は私が撮ったものですが、私の腕がいいのではなくて、にじみ出るお人柄、ですね。

気さくで、やさしくて、ダンディで、素敵な方でした。

 

 

東北沢で生まれ育った矢吹さん。

インタビューをしたのは、私が東松原から東北沢に引っ越した頃でした。

ご近所だったんです。

下北沢のタウン誌なので、下北沢に関するエピソードを伺ったのですが、

映画館の話、おもしろかったです。

私が東京に引っ越してきた頃は、確かまだ、あったような…。

 

また、矢吹さんとは、話の合うところがいくつもありました。

たとえば、「下北沢」が「シモキタ」と呼ばれるようになった頃のこと。

街の名前を略して呼ぶようになると、街は変わるという話、とか。

サンチャ、ニコタマ、然り。

「この街をそう呼ぶ人たちの街になったな」と思ったとのことでした。

私は、「シモキタ」と略して言うことはありません。あまり好きじゃないんです。

今までも、今もずっと、「下北沢」と言っています。

インタビューの間、矢吹さんも、必ず「下北沢」と言っていました。

 

それと、下北沢のエネルギーの源は「猥雑さ」であって、

あまり衛生的になってはいけない、という話も。

いま、下北沢がどんどんきれいになってきてる。

数年後には駅前にロータリーもできて、ずいぶん変わるんでしょうね……。

今まで、雑多でエネルギーに満ちていた下北沢が、今度こそ、

街の性格が変わってしまうかもしれないな、と、悲しく思っているのですが、

矢吹さんがお元気だったら、きっと、同じことを思われたような気もします。

 

掲載させていただいたイラスト地図は、矢吹さんが子どもの頃の東北沢~下北沢です。

映画館がいくつもある! この地図を見せていただきながら、

「ここには、こんなものがあってね」などと話してくださいました。

楽しかったなぁ。

 

1度お会いしただけですが、とても印象に残っています。

もう1度、お会いしたかったな。さみしいです。

空の上で、ゆっくりおやすみください。